なぜスペインに移住したか 完結編 by  夫

こんにちは!皆さんお元気でしょうか?

 

そもそもこのブログを始めた際に、「なぜ移住したか?」について書き始め、次はいよいよ涙の最終回です、というくだりで終わったまま、他のことについて書き始めてしまいました。

 

日本の政治家みたいにめんどくさいことは後回しにし、友達には「まだ続き書かないの?」と聞かれても、「もう書いてるよ!」と蕎麦屋の出前的に誤魔化してきました。

しかし、今日はそろそろその約束を履行すべく、なぜ移住したか完結編、ということで書いていきたいと思います。

 

ただ、実は読み返してみると前回のパート2で実は基本完結していて、他にあまり書くことがない!という気がしてます。汗

 

一方で、ただ時系列に何があったかを書いてあるだけで、「なぜスペインに移住」というのがイマイチ伝わっていないかもしれないので、最後に今一度そこに焦点を当て完結編とさせていただきたいと思います。

 

では、宜しくお願い致します!

 

実は、スペインか、ということよりは、私の場合、まず根本的には海外に住んでいたいという気持ちが強く、移住を考えはじめた時点では、そのままニューヨークに残るか、その他の海外に移住するかという選択肢しかなかった。

 

そこでニューヨークに住み続ける、イコール、H1というビザを維持し続けるには、当時スポンサーになってもらっていた企業(働いていた企業)に居続けなくてはいけなかったのだが、そのためには全てを犠牲にして馬車馬のようにそこで働くしかなかったが、それにもう耐えられなかった、というのが本音だ。

 

他の会社を見つけることも不可能ではないが、恐ろしく物価が高いニューヨークでは、それなりの企業で働かないと生活ができないので、転職もそう簡単ではない。

当時の会社での自分の役割もあまり面白いものではなかったし、インド人の上司とも全くウマが合わなかった。

今会ったら、蹴りを入れたいぐらいだ。少なくても、握りっぺを喰らわすことは間違いない。

そしてただ住み続けるために、嫌いな仕事を我慢してやっていたいほど、ニューヨークという街も好きでなくなっていたのだと思う。

その代わりに、昔から夢見ていたスペインにとても惹かれ始めた。

そして、当時まだ30代後半、失敗が許される歳だし、子供も4歳と、変化に敏感な歳でなかったことも、後押しした。

 

では、なぜ海外に住んでいたいか、二つの理由がある。

 

一つは自分のため。

将来いつかは日本に絶対帰るので、それまで単純に色々な経験したり、毎日海外旅行しているみたいで楽しいから、というバカみたいな理由だ。

 

そして二つ目は子供のため。

もちろんこれがより重要で、海外で子育てしたいという気持ちが非常に強い。もちろんそれが本当に子供のためになるのか、という点は、結果論だから、今の時点では誰にも分からない。

 

実は私も中学・高校時代をドイツで過ごした帰国子女なのですが、やはり海外で過ごせて良かったなぁという気持ちが強い。

お陰で、ほぼ裏口入学とも言われる帰国子女枠で、比較的良い大学にも入れた。そのお陰で良い会社にも入れた。

一方で、4年半しか向こうにいなかったたため、ニューヨーク時代、仕事において、もしアメリカ人と同じことをやれと言われれば、言葉もメンタル面も海外にて現地の強者ライバルと戦うのは不可能だった。もちろん職種次第ということはあるが。

 

私の場合は、ニューヨークにある日本の金融機関様のリレーションシップマネジャーとして働いていたので、英語ができる日本人というだけで重宝された。ただ、前述の通り、アメリカ人と同じ仕事をしろと言われれば無理だった。例えば、アメリカの機関投資家に営業しろと言われ、ハーバード出身のアメリカ人と競ったら、勝てるはずがなかった。だから子供にはより早く海外で学んで欲しかった。

言葉も完璧になってほしいし、物事の考えかたやアプローチの仕方、世の中には色々な人や物の考え方が存在するということを先入観なしに学んでほしかった。

 

それなら日本のインターに行かせれば?という意見もあるかもしれないが、海外でマイノリティとして生活することで、ハングリー精神を身につけ、どうやったら日本人でも認めてもらえるか、というように貪欲な考え方を身につけて欲しいと思った。学校以外、課外活動や生活の面でも、海外ならではの、より幅広い経験ができると思った。

 

ただ、繰り返しになるが、それが本当に子供のためになるかは分からない。

結果的に日本にずっと居れば良かった、というケースもあり得るし、子供一人一人の個性によっても変わってくると思う。

ましては、日本にいないことによって、将来日本で働くために必要な要素を習得できないという、犠牲を払うかもしれない。ただ、それでも将来海外で働くことも含め、結果的にはより多くのオプションを子供にあげることにはなるのかな、と考えている。

 

そして、その後は以前に書いた通り。こういうことを考えているうちに、前からあったバルセロナ移住の夢がどんどん膨らんでいった。

FC Barcelonaが大好きでいつか毎週Camp Nou(サッカースタジアム)に通うのが夢だった。

生ハムはさることながら、新鮮な魚介類や野菜など、食生活が合いそうだった。

人が優しそうで、人間関係も大丈夫そうだなと思った。


社会インフラも整っているし、私が非常に気にしていた医療のレベルも高く、保険料もアメリカと比べれば格段に安かった。

私は心配性なので、小さい時から病気について調べるのが好きだった。子供の頃の愛読書は「家庭の医学」、好きな漫画は「ドクターK」、髪型、いや髪の色は「ブラックジャック」だ。 

多分素人にしては、医学の知識もかなりある方だと思う。お医者さんにかかる時は、心配性のあまり、こんな病気ではないか?と普通の人が聞いたこともないような病名を先生の前で出し、鼻で笑われ相当ウザがられたりする。

また、検査も好きで、当時誰も知らなかったマイクロアレイ検査も何年も前に受けたりした。保険適用外で高かったので、飲み会を何回か我慢した。日本では医療が安いので、何かあればすぐ病院に行った。逆にそこで風邪をもらってきているのでは、と嫁がいつもキレていた。

流石にスペインに来てからは、病院に行くのが億劫になり、あまり行っていないが。。。

もう一度人生をやり直せるなら医者になりたいとさえ思っているが、恋愛と一緒で私は非常に不器用なので、無理かもしれない。髪型だけで留めておくのが良いだろう。

 

話はそれたが、何よりも新しいビザのシステムのおかげで住めることとなった。同じようなビザ・システムを持っている国はたくさんあるが、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、あたりが世界的に見てもハードルが低い。

また、物価がそれほど高くないため、食べていくためだけに馬車馬のように働く、というストレスから少し解放される気がした。

 

教育のレベルは平均的にはものすごく高いわけではないが、良い学校はあるし、何より中国語、ヒンドゥー語を除いて世界で二番目に話されているスペイン語も習得できるのもかなり大きいと思った。

子供だけでなく、私もきちっとスペイン語を習得すれば、今後のビジネスに活かせるのでは、という狙いもあったし、世界がもっと広がる気がした。

 

正直あとはノリでという部分もある。あまり後先考えなかった。身体さえ健康ならどうにかなるだろう、というポジティブ・シンキングの持ち主だ。

また、以前にも書いたが、尊敬していた上司が突如亡くなるということもあって、人生ってやりたいこと早くやっておかないとな、という気分にもさせられた。

当時ユーロ安で、初期投資が比較的安く済みそうという側面もあった。

 

以上のことがすべた合わさって、結構勢いもあって移住を決めた。特に嫁からしたら、え?なんで?安定した生活捨てちゃうの?って感じだったのは間違いないが、嫁も好奇心旺盛でノリが良いタイプだったので助かった。笑

 

そして約5年経った今、この決断は正しかった?と聞かれれば、正直それはわからない。アメリカに残った方が良かったか、日本に戻れば良かったか、それもあり得る。

でも、後悔してるか?と聞かれれば100%してないと自信を持って答えられる。それは、少なくても今のとこスペインの生活が楽しから。

将来になって後悔するかもだが。笑

 

当時の同僚も、各分野でめっちゃX100活躍してて、尊敬できる人ばかり。キャリアという点では、とんでもないくらい差をつけられちゃったけど、私にはそもそもそんな才能ないし、ちょうど良い選択だったかな。

 

もし、このような移住に興味がある人がいれば、是非ご相談ください。世の中に私が還元できることといえば、こんな経験だけですので、喜んでお話しさせていただきます。

ということで、今回は、うざいと評判の(?)親父ギャグ封印で、真面目に書いてしまいました。次からは、再度解禁して書いていきたいと思います!

ご一読、ありがとうございました!

 

ブログに戻る

コメントを残す

コメントは公開前に承認される必要があることにご注意ください。